、五年の星霜《せいそう》は、彼女には何かしなければならないという欲求が起って来た。
正子が松井須磨子となる第一歩は、徐々に展開されるようになった。彼女に結婚を申込んだ人に前沢誠助《まえざわせいすけ》という青年があった。高等師範に学んでいたが、東京俳優学校の日本歴史教師を担任していた。俳優学校というのは、新派俳優の故参、藤沢浅次郎《ふじさわあさじろう》が設立したもので、そのころ米国哲学博士の荒川重秀《あらかわしげひで》氏も新劇団を起し、前沢はその方にも関係を持っていた。その青年の求婚は須磨子の方でも気が進んだのであろう。前沢の乏しい学生生活に廿二歳の正子という華やかな色彩が加わった。
堅気《かたぎ》の家に寄宿して、出京しても一度も芝居を見なかった若い細君の耳へ、毎日毎日響いてくるのは、劇に新生面を開いてゆかなければならないと、論じあう若き人々の声ばかりであった。新時代の要求は立派な女優であるというような事も響いた。良人《おっと》の前沢は妻にもそれを解らせようとした。彼女も知らずしらずに動かされて女優修業をしようと思い立った。前沢の関係のある俳優学校は女優を養成しなかったので、坪内先生
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