どうにか芝居の稽古までに癒《なお》った彼女は、恩師を看《みと》る暇もなく稽古場へ行った。
 十一月四日の寒い雨の日であった、舞台稽古にゆく俳優たちに、ことに彼女には細かい注意をあたえて出してやったあとで抱月氏は書生を呼んで、
「私は危篤らしいから、誰が来ても会わない」
と面会謝絶を言いわたした。出してやるものには、すこしもそうした懸念をかけなかったが、病気の重い予感はあったのだった。慎しみ深い人のこととて苦しみは洩《もら》さなかった。かえって、すこし心持ちがよいからと、厠《かわや》にも人に援《たす》けられていった。だが梯子段《はしごだん》を下《お》りるには下りたが、登るのはよほどの苦痛で咳入《せきい》り、それから横になって間もなく他界の人となってしまった。
 不運にも、その日の「緑の朝」の舞台稽古は最後に廻された。心がかりの時間を、空《むな》しく他の稽古の明くのを待っていた芸術座の座員たちは、漸《ようや》く翌日の午前二時という夜中に楽屋で扮装を解いていると、
「先生が危篤ということです」
と伝えられた。取るものも取りあえず駈戻《かけもど》ったが、須磨子は自用の車で、他の者は自動車だった
前へ 次へ
全44ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング