」には種々の出来ごとがついて廻った。最初去年の夏、帝劇で市村座連の出しものであったとき、劇評家と、狂主人公に扮した尾上《おのえ》菊五郎との間に、何か言葉のゆきちがいから面白くないことが出来て、菊五郎の芝居は見るの見ぬのとの紛紜《いざこざ》があった。小山内氏は訳者という関係ばかりではなく、市村座の演劇顧問という位置からしても、舞台上の酷評には昂奮《こうふん》しないわけにはゆかなかった。それから間もなくその舞台装置の責任者であった、洋画家|小糸源太郎《こいとげんたろう》氏が、どうしたことか文展へ出品した額面を、朝早くに会場へまぎれこんで、自分の手で破棄したことにつき問題が持上り、小糸氏は将来絵筆をとらぬとかいうような事が伝えられた。口さがない楽屋雀《がくやすずめ》はよい事は言わないで、何かあると、緑の朝ですかねというような反語を用いた。その評判を逆転しようとしたのが松竹会社の策略であった。松竹は芸術座を買込み約束が成立すると、その魁《さきがけ》に明治座へ須磨子を招き、少壮気鋭の旧派の猿之助《えんのすけ》や寿美蔵《すみぞう》や延若《えんじゃく》たちと一座をさせ、かつてとかく物議《ぶつぎ》の種
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