でありながら、松井須磨子の場合には不思議に一致して、
(立派な死方《しにかた》をした、しかし随分憎らしい記憶をおいていってくれた人だ)
これが須磨子を知っている人の殆《ほと》んどが抱《いだ》いた感じではなかったろうか、この偶然の言葉が須磨子の全生涯を批評しているようだといわれた。
あの人は怒っているか笑っているか、どっちかに片附いている人だったが、泣くということがふえて、死ぬ前などは、怒っているか、笑っているか、泣いているかした。
「先生と私との間は仕事と恋愛が一緒になったから、あんなに強かったのよ」
といい、
「私がほんとうに家庭生活というものを知ったのはこの二、三年のことですよ、先生もほんとに愉快そうですわ」
といったりした彼女が、泣虫になったのはあたり前である。むしろ笑いが残っていたのが怪しいほどだ。
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恋人と緑の朝の土になり
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と川柳久良岐《せんりゅうくらき》氏は弔した。「緑の朝」は伊太利《イタリー》の劇作者ダヌンチオの作で「秋夕夢」と姉妹篇であるのを、小山内薫《おさないかおる》氏が訳されたものである。どうしたことかこの「緑の朝
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