り見ず、縊《くび》れ死んでしまって、そういう人たちに唖然《あぜん》とさせたのは痛快なことではないか。
「死んだときいたら、嫌だったことはさらりと消えてしまって、ほんとに好い感情を持つことが出来た。何だかこう、昨夕《ゆうべ》まで濁っていた沼の面《おも》が、今朝《けさ》起きて見ると、すっかりと澄みわたっているので、夢ではないかと思うような気がする。僕はそんな心持ちがするといったら、N氏もほんとにそうだ、私もそういう気持ちがしたと言った」
と抱月氏とも須磨子とも交りのふかかったA氏が話された。そのおりに言葉のつづきで、
「あの人は死によって、あの人の生活を清浄なものにした」
「あの人のぐらい自然な感じのする死はない」
「僕はもうすこしあの人を親切にしてやればよかった」
讃美と感激ののち、沈黙がつづいたはてに、突然ある人が、
「しかし、松井君は随分憎らしかったね」
と言出すと、その一言《ひとこと》でその座の沈黙が破れて、その言葉に批判があたえられずに、
「そうだ。やっぱり憎らしい人だったね」
と前の讃美とおなじように連発された。その二つの、まるで異《ちが》った意味の言葉は、一致しそうもない事
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