何かしら心の安定を失っていたときと見た方がよかろう。でなければ、いかに仲に立った人が適当の処分をし、よく斡旋《あっせん》したからとて、抱月氏の死後、彼女が未亡人や遺孤《いこ》に対して七千円を分割し、買入れた墓地まで、心よく島村家の人たちに渡してしまうはずはない。
「私もこの墓地へはいるのだから」
 彼女は墓地の相談のときにこういっていたそうである。島村家へ渡したといっても、自分が買って、大切な先生の遺骨《ほね》を埋めたところゆえ、自分のものだという心持ちでいたのであろう。それでも不安心なところもあったかして、その隣地の背面の空地《あきち》を買っておこうと呟《つぶ》やいていた。けれど誰れがそのおり須磨子の心のどん底に、死ぬことを考えてもいたと思いつく道理はなかった。
 抱月氏は須磨子のために全部を奪われてしまっているものだとさえ思われたが、ある興行師は須磨子にむかって、
「も一儲《ひともう》けするのなら、抱月さんと別れて見せることだ。人気が湧《わ》けば金もはいる」
といったとやら。金、金、金……利殖よりほか楽しみのないもののようにいわれた彼女が、女優生活の十年に残しえた三万円を捨ててかえ
前へ 次へ
全44ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング