とにかくよく死んだ。是非はどうとも言えるが、死ぬものは後《あと》の褒貶《ほうへん》なんぞ考える必要はないから」
と言うものもあった。死んだという知らせを電話で聞いて、昂奮《こうふん》して外へは出て見たが何処へいっても腰が座《すわ》らないといって、モゾモゾしている詩人もあった。けれど、みんな理解を持っているので、芳川鎌子の事件の時なぞほど論じられなかった。
「島村さんの立派な人だったってことが世間にもわかるだろう。須磨子にもはっきりと分ったのでしょう」
 そんなことが繰返えされた。全く彼女は、島村さんの大きい広い愛の胸に縋《すが》り、抱《だか》かれたくなって追っていったのであろうと、私は私で、涙ぐましいほど彼女の心持ちをいじらしく思っていた。
 連中が出ていってしまってからも私はトホンとして火鉢のそばにいた。生《いき》ている悩みを、彼女も思いしったのであろう。種々《さまざま》な、細《こま》かしい煩《うる》ささが彼女を取巻いたのを、正直でむき[#「むき」に傍点]な心はむしゃくしゃとして、共にありし日が恋しくて堪えられなくなったのであろうと思うと、気がさものばかりが知るわびしさと嘆きを思いや
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