せる。その人が労《つか》れてしまうとまた他の人を引っぱりだしてやらせる。皆が嫌がると終《しま》いには一人で、オフィリヤでもハムレットでも墓掘りでもやってしまう。自分の役でない白でも狂言全体のを覚えこむという狂的な熱心さであったということである。
 生徒時代には身なりにとんちゃくなく、高等女学校や早稲田《わせだ》大学出の人たちの間へはさまり、新時代の高級女優となって売出そうという人が、前垂《まえだ》れがけの下から八百屋で買って来た牛蒡《ごぼう》と人参《にんじん》を出してテーブルの上へのせておいたまま「これはお菜《かず》です」とその野菜をいじりながら雑誌を一生懸命に読出したということや、他の生徒たちと一所に帰る道で煮豆やへ寄って、僅《わず》かばかりの買ものを竹の皮に包ませ前掛けの下にかくし「これで明日のお菜もある」といった無ぞうさや、納豆《なっとう》にお醤油《しょうゆ》をかけないで食べると声がよくなるといわれると、毎日毎日そればかりを食べて、二階借りをしていたので台所がわりにしていた物干しには、納豆のからの苞苴《つと》が稲村《いなむら》のようなかたちにつみあげられ、やがてそれが焚附《たきつ
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