が気をつけに側へいったのに驚いて、歯を磨きだした。そしてその翌朝は、そこのとなりの、新らしく建増《たてま》した物置きへ椅子や卓《テーブル》を運んでいったのであった。つい隣りの台所では下女《げじょ》が焚《た》きつけはじめていたということである。坪内《つぼうち》先生と、伊原青々園《いはらせいせいえん》氏と、親類二名へあてた遺書四通を書きおわったのは暁近くであったであろう。階下の事務室に寝ているものを起して六時になったら名|宛《あて》のところへ持ってゆけと言附けたあとで、彼女は恩師であり恋人であった故人のあとを追う終焉《しゅうえん》の旅立ちの仕度にかかった。
 彼女は美しく化粧した。彼女は大島の晴着に着代え、紋附きの羽織をかさね、水色|繻珍《しゅちん》の丸帯をしめ、時計もかけ、指輪も穿《は》めて、すっかり外出姿《そとですがた》になって最後の場へ立った。緋の絹縮《きぬちぢみ》の腰|紐《ひも》はなめらかに、するすると、すぐと結ばれるのを彼女はよく知っていたものと見える。

 あの人は変っている、お連合《つれあい》と口論したら、飯櫃《めしびつ》を投《ほう》りだして飯粒だらけになっていたって――家が
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