れど、なんといったって、市川宗家《つきじ》ほどの役者の、門弟《でし》になったなあ、あたしの名誉さ。」
ほんとに、団十郎の芸には心酔している言いぶりだった。
「好い先生といえば、ねえ、お師匠さん、依田先生が、和歌も学んだ方が好いから、竹柏園《ちくはくえん》に通ったらどうだと仰しゃって、入門のことを話しといてあげると仰しゃいました。」
「そりゃあ豪儀だな。」
ふくみ笑いを、ほんとに笑ってしまって、
「学問は上達しても、踊が、あれじゃあなってねえな。お前《めえ》たちのは、踊ってるんじゃなくて、畳を嘗《な》めてるんだ。」
機嫌の好い皮肉だった。
「あっしゃ全体、神田の豊島町《としまちょう》で生れたんだけれど、牛込《うしごめ》の赤城下《あかぎした》に住んでたのさ。お父さんはお組役人――幕末《あのころ》の小役人《こやくにん》なんざ貧乏だよ。赤城神社《あかぎさま》の境内《なか》に阪東三江八ってお踊の師匠さんがあってね、赤城さまへ遊びにゆくと、三江八さんのところの格子《こうし》につかまって覗《のぞ》いてばかりいたのさ。」
呼びこまれて踊ってみると、見覚えで踊れた。それから親には内密《ないしょ》
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