で教えてくれたのだが、お母さんが肩を入れだして、どうかお父さんに許されるようにと、何かの祝事《いわいごと》のあった時、父親やその仲間のいるところで本式に踊らして見せたので、その後、直に父親を歿《なく》なしてからも、十三、四から踊りの手ほどきをして、母親と二人で暮していけたのだがと、めずらしく身の上ばなしをしだした。
「お文《ぶん》さんという、常磐津《ときわず》の地で、地弾《じび》きをしてくれる人が、あたしを可愛がってね。小石川|伝通院《でんづういん》にいた、高名な三津江師匠のところへ連れてってくれたのだが芸は怖《こわ》い。」
と彼女はふとい息を吐いた。
「それまで、あたしが踊ってたのは、手ふりさ、踊りなんかじゃないのさ。それから、本当の踊りをしこまれた。」
「そういえばお師匠さん、高橋お伝をおやんなさったことがあるでしょ。」
「ああ、たしか明治十七年ごろだった。」
「いいえ、もっとあとで、見た人が、お伝になった、お師匠《しょ》さんの扮装《おつくり》を見て、お師匠《しょ》さんの若い時分――年増《としま》ぶりを見た気がしたって、言ってました。」
「あッしゃあ、あんなじゃなかったよ。」
苦
前へ
次へ
全26ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング