ホッとしたようで、
「静枝さんは、依田《よだ》先生のところへいったかい。」
「ええ、丁度、今帰りました。坂本の栄泉堂《おかの》へお菓子を買いにいったら、帰りが一緒になりましたの。」
と、内弟子の華代子《かよこ》が、餅菓子を好い陶器《やきもの》の鉢《はち》へ入れて持って来ていった。
 二人の内弟子のうち、華代子は他のものにはきらわれたが気に入りなので、師匠の小間使いをしている。静枝には海老茶袴《えびちゃばかま》をはかせて玄関番をさせ、神田小川町の依田|百川《ひゃくせん》――学海《がくかい》翁のところへ漢学をならわせにやるのだった。
「女役者だって、学問があって、絵が描けなければだめだよ。」
 彼女も、用がなければ、サビタのパイプを弄《いじ》る前には、絵筆を捻《ひね》っているのだった。
 けれど彼女に、守住|月華《げっか》という雅号のような名があるのは、絵を描くためではなくって、明治十一年ごろからはじまった、演劇改良会の流れで、演劇改良論者の仲間であった学海が、明治廿四年浅草公園裏の吾妻《あづま》座(後の宮戸座)で、伊井蓉峰《いいようほう》をはじめ男女合同学生演劇済美館の旗上げをした時、芳
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