れ、九代目市川団十郎の、たった一人の女弟子で、九女八という名をもらっている師匠が、歌舞伎座のような大舞台を踏まずに、この立派な芸を、小芝居《こしばい》や、素人《しろうと》まじりの改良文士劇や、女役者の一座の中で衰えさせてしまうのかと、その人の芸が惜《おし》くって、静枝は思わず涙ぐんだ。
 鏡へうつる眼のなかのうるみを、見られまいとしてうつむくとたんに、九女八づきの狂言|方《かた》、藤台助《ふじだいすけ》が入口の暖簾《のれん》を頭でわけてぬっ[#「ぬっ」に傍点]と室《へや》へはいって来た。
「どうしたんだ、叱られでもしたのか。」
 そういうのへ、九女八は審《いぶか》しそうに顔を向けた。静枝へいっているのではないと思ったからだった。
「ははァ、からかったのはお前さんか。」
 九女八は、若い女《もの》へ調戯《からかい》たがる台助のくせを知っているので、口へは出さないが、腹の中でそう思っている。
「師匠、この次興行、浅草へ出てくれないかというのだが――」
 静枝は、台助の顔を、睨《にら》むつもりではなかったが、そう見えるほど厳しく下から見上げた。今もいま、師匠のかけがえのない好《い》い芸を、心
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