台生活は、華やかなようでも、演《や》る役は、普通生活とおなじで、そうそう他種類はない。自分についた持役《もちやく》は大概きまっていて、柄にない役はもってこないのだが、どうしたことか、今考えている役がなんだか、九女八には思いだせない、それに、なんでも思い出さなければならないことでもない。と、そう思うかげに、ながい間役者をしたが、とうとう、団十郎《ししょう》と一つ舞台に並べなかったという、何時も悲しむさびしさが、心の奥を去来していた。
「あたしは、考えかたが、間違ってた。」
 九女八は、鷺草の、白い花がポツポツと咲き残るのへ降る雨が、庭面《にわも》を、真っ青に見せて、もやもやと、青い影が漂うようなのに、凝《きっ》と心をひかれながら、呟《つぶや》いた。
「なにがよ。」
 芸者や、役者の配り手拭《てぬぐい》の、柄の好いのばかりで拵《こしら》えた手拭浴衣を着て、八反《はったん》の平《ひら》ぐけを前でしめて、寝ころんだまま、耳にかんぜよりを突ッこんでいた台助が、腑《ふ》におちない顔をした。
「なんてって――」
 九女八は、まだ、素足《すあし》の引っこみの足どりの幻影《かげ》を、庭の、雨足のなかに追
前へ 次へ
全26ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング