びない、そのくらゐならば、僕が死んであげる――」
 その人は歔欷したが、私は吃驚した。
「心中なのですか?」
 ときくと、冬子の夫はコツクリした。
「誰と?」
「それが、わからないから、堪らんのです。ニヒリスト詩人なんぞなら、彼一人死ぬがいいのです。だが、×氏なら惜しい、實に、實に惜しい、死なせたくないのだ。」
 彼はいふ。冬子とニヒリスト詩人とが、お互に變名して、手紙を託しあつてゐる古本屋へ、ニヒリスト詩人が、きのふの朝か、をととひ、冬子の手紙をとりに來たか、または冬子に手紙を渡したか、それを電話で、こちらから問合せてくれれば、けふ、函館海峽で命を落したのは、冬子と誰とだかがわかるのだと。
 これは困つたことだと、私は思つた。どんな氣持で、冬子がそんな手紙の書きかけを、古外套のカクシなどに入れておいたのであらう。そのニヒリスト詩人と彼がいふ詩人も、私は知つてゐる。なるほど、さうした對手を求めるやうな、熱烈な、死と愛の詩は發表してゐるが、しかし、冬子とどんな關係があるのだらう。しかもきのふは、冬子が帝展をゆつくりみてゐた姿を、見て來たものがあつたのだ。
 そんなことはおくびにもいへない
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