ちの赤いのが目立つてゐた。
「時間からいふと、今ごろは――」
彼は唇を噛むやうにしてうつむいた。立つたままでも聞いてゐられないので、あがつてもらふと、彼はいひつづけた。
「つまらないことで別れてゐて、けふ歸つて見ると、家の中の樣子が變つてゐるのです」
「變つてゐるといふと?」
「彼女《あれ》は、もう、二度と、あの家へは歸らないつもりなのです。僕は――」
と、顏を赤くしてどもつたが、
「あの女《ひと》なしには、實際、今、ゐられないのですが――」
伏せた眼はうるましてゐる。別段、書置きも何もないが、壁にかけてあつた彼女の古い雨外套のカクシを探ると、ある男へやる、打合せの手紙の書きかけが丸めて入れてあつて、それを讀み解くと、冬子は、けふの丁度いまごろの時間に、函館海峽で、投身自殺をしてゐるのだ。
「僕が惡いのです。僕が、彼女《あのひと》を苦しめるものだから――だが、僕は堪らないのです。冬子が選んだ相手が、ニヒリストの、あの詩人であるなら、まだ耐へることが出來るが、僕の――僕の先輩、日本でたつた一人の先覺者、アナキズムの、大學者の×氏を、僕があるために、空しく海峽の藻屑としてしまふのは忍
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング