擣《う》つの声……の、あの有名な唐詩の意味をよく作曲しだして、これはまとまった、情景そなわる名曲となった。私は、「虫」以来、彼女の作曲について遠ざかっていたが、「秋」の出来|栄《ばえ》をききにきてくれといわれ、出来がよかったので嬉しかった。
 彼女は、近年は殆《ほとん》ど、高橋|元子《もとこ》(藤間勘素娥《ふじまかんそが》)の舞踊|茂登女会《もとめかい》に出演し、作曲していた。元子のお母さん姉妹《きょうだい》も、浜子の友だちだった。元子も朱絃舎門下で、浜子の晩年の日記は、元子を恋人とさえ呼んでいたが、育ちゆく人々は、いつまでも彼女の秘蔵弟子、愛《いと》しい人形ではいなかったから、彼女は怏々《おうおう》と楽しまない日がつづいて、そのうちに坪内先生のお棺《ひつぎ》を送り、すぐまた、五十余年を、一日も傍《かたわら》を離れなかった、浜子の老母が、ぽくりと、それこそぽくりと、早朝《あさ》顔を洗いながら、臥床《ふしど》から離れる娘へ、
「羽織をひっかけないと寒いよ。」
と世話をやきながら、そのまま、うっぷして、娘と一緒の生涯を終ってしまった。
 それからの浜子、さびしそうだった浜子、来年は箏を弾い
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