邸は震火に失ってしまったのだ。彼女はあんまり用心深かったことがいけなかったといった。一ツひとつ、思出の深い箏《こと》も、みんな焼いてしまったが、思いがけない悦びは、芝の寺島《てらじま》(菊五郎家)氏から、衣類をもって見舞いにいった者が、家《うち》でも角の土蔵《くら》は焼けたが、母屋《おもや》や、奥蔵が残ってといって、お預りしてある箏も無事ですといった。
「おお、『若草《わかくさ》』が――」
 彼女は、すぐにも、『若草』という箏の絃に触れて見たい衝動を、おさえられなかったほどだった。
 数日の後、荻原一家は、神奈川台の島津春子|刀自《とじ》の家にいた。この人も長い間の、年長の友達であった。そして、小石川の浜節子の邸に落着いた。
 これも、友達である三菱《みつびし》の荘田《しょうだ》氏の令嬢である宮田夫人が、牛込余丁町《うしごめよちょうまち》の邸の隣地に、朱絃舎の門標を出させる家を造ってくれた。門をはいるとすぐ雷神木《らいじんぼく》があるのを、私が、坪内先生の御邸内《おやしきない》に建った文芸協会へ誘っていった時に、その木が、お住居《すまい》の門のすぐそばにある事を話したことがあったので
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