「おやっちゃんに見せたことあるかしら、光琳《こうりん》の蒔絵《まきえ》の重箱を。」
と、いうと、賢吾氏が、二十五歳にもなるが、そんなのは私も見たことがないというようであった。
 炭は、土蔵《くら》の縁の下にも住居《すまい》の下にも、湿《し》けないようにと堅炭《かたずみ》が一ぱい入れてあるといった家《うち》で、浜子一代は、どんなことがあっても家に手を入れないですむようにと、壁の中にも鉄棒のしん[#「しん」に傍点]の入れてある念入りの普請《ふしん》を、父親は残しておいた。それらはみんな、大正十二年の震火災であともなくなってしまった。
「外国の保険だの、外国の銀行にあったものだのが、かえって、こっちでは、わからなくなってしまっても、ポツポツ先方《むこう》から知らせてくれて。」
と、彼女は言った。身をもって逃《のが》れて、路で草履《ぞうり》を拾って母にはかしたといったほど、何もかも失ってしまったが、秩序が回復すると、私たちにくらべれば、やっぱり閑《のど》かに暮してゆける人だった。
「お店がああなって、横浜にいなくって好いのだから、東京へ来るのに、家《うち》を売ろうかと思っているうちに――」

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