がい》から野沢屋の店に育ったので、生糸店とは別会社の、他《ほか》の重役たちのように策を施さなかったので、父親譲りの財産は、無償働《ただばた》らきのようにお店へかえしたとおなじことになって、預金はそのままになってしまった。しかも、浜子の父|平兵衛《へいべえ》が、長い間支配人として、どんなに店を富ませたか知れないので、莫大《ばくだい》もない慰労金が分けられることになったまま、父親が死に、主家の主人が二代つづいて死んだので、そのままになっていたのも、取らずじまいになってしまった。
「金持ちなんて、それは間違いだけれど、品物だけはどうにかこうにか、あるにはある。」
と、浜子はいっていたが、名物ものや、美術品などはさほどでないとしても、横浜開港時に手に入れた舶来品が、忘れてしまうほどあったのだ。切子《きりこ》の壺《つぼ》ばかりも、好いのが沢山あった。古い洋酒が、土蔵《くら》の縁の下にコロコロしていて、長持《ながもち》の中は、合紙《あいがみ》がわりに、信州から来る真綿《まわた》がまるめて、ギッシリ押込んであり、おなじような柄の大島がすりが、巻いたままで、幾本もはいっていて忘れたというふうであった。
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