むどころか、師の芸は伝えられないものとしてあがめている。この、浜節子さんは、年少のころから片上伸《かたかみのぶる》氏たちを友人にもっていたような、浜子には学問の友達である。彼女が泊りがけで、箏の稽古に横浜まで来る時には、リの字のようにふとんを敷くのだと笑った。節子さんは娘時代には、一|反《たん》半なくては、長い袖《そで》がとれなかったという脊高《せいたか》のっぽ、浜子は十貫にはどうしてもならなかったか細《ぼそ》い小さな体だった。私の妹の春子も、泊り込みの通い弟子で、浜子のお母さんからは料理、浜子からは箏を、ずっと教えてもらっていた。
 春のお魚《さかな》は鰆《さわら》、ひらめ、などと、ノートさせられて「今日午後六時の汽車にて帰す」と浜子が書き添え、認印《みとめ》を押してよこした年少のころ、浜子の母人《ははびと》はホクホクして、
「なんて可愛い、おとなしい子なのだろう。」
というと、浜子は、
「おしゃま猫が、いつまで猫をかぶるかしら。」
と笑ったりした。その春子も成人して、ぐっと逞《たくま》しくなってしまっていた時、「虫」の作曲の顔寄せがあったのだった。
 金屏《きんびょう》の前に、紫檀
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