でなければ出来ない。
「さあ、浜子さん、作曲してあげるかあげないか、出演は第二の問題。」
と、私は厳《きつ》く言った。なぜなら、この位な皮切りをした方が、彼女をお道楽芸にしておこうとするものへの、決戦的な――といおうか、大切にしている腫《はれ》ものへの大手術だと思ったからだった。
 ともあれ、その稽古所と、打合せの場処をつくらなければならない。私が、佃島《つくだじま》の家にいることがすくなくなって、新《あらた》に、母の住むようになった、鶴見《つるみ》の丘の方の家《うち》にいたし、佃島《しま》では出入りに不便でもあるので、小石川に大きな邸をもって、会計検査院に出ていたお父さんが歿《なく》なり、家督の弟|御《ご》が役の都合で地方にいるので、広い構えのなかに、ポツンと独りで暮している、若い時分は、詩文と、名筆で知られていた、浜節子という、これも浜子の古い仲良し友達で、朱絃舎の一員である人の、邸の表広間を借りることにした。
 で、便次《ついで》に、朱絃舎の門弟といえば、浜子の箏の耽美者《たんびしゃ》である、最も近しい仲の人たちばかりだった。それらが密接なつながりで垣《かき》をつくり、師の芸を盗
前へ 次へ
全63ページ中51ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング