良心をもたぬ人々の間には、彼女が軌道に乗って、乗りだしてゆくのが不安にもなった。古い側の人の悦びは、困らない奥さんの芸であって、名人だとされればそれだけでよいというようなところもあった。また、あまり彼女を惜みすぎて、名物茶入れのように箱に入れて、あんまり人目に触れさせないのを、もっとも高貴であると考えるものも出来てきた。
彼女は私にむかって、若い夫人をもって、物質のためにいらいらしていた鼓村さんのことを、よく、こんなふうにいった。
「鼓村さんが、盲目になったら、どんなに名人になるだろうに。」
と、わたしはすぐ、
「浜子のうちが金持ちでなくなると、どんなにこの人は好《よ》くなるかしれないだろう。」
その時分のことだった。市川猿之助が、明治座で、「虫」という新舞踊を上演したいが、尺八と箏でやって見たいと相談をうけた。「空華《くうげ》」の時のこともあるし、箏は浜子に頼みたいといった。
オー・イエス! 私は嬉しく心楽しいとき、よくこんなことをいう。猿之助もよく踊らせたい。それに、劇場で、箏を主とし、しかも、あの、芸術的香気の高い、いわゆるお賑《にぎ》やかなケレンの多くない、まことに、どっ
前へ
次へ
全63ページ中49ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング