主席にした卓《テーブル》へ帰って来たときの彼女は、実に生々《いきいき》して、はじめて見せる顔だった。まさに、この時分の彼女の爪音《つまおと》には、彼女の細い腕から出るものではない大きな、ふくみのある、深い、幅の広い音が出ていた。
「浜子は巧《うま》い。」
「浜子さんの箏は好《い》いなあ。」
何処でも好い評判だ。
菊五郎の、芝公園の家《うち》では、なんでも、しんみりと、浜子と宮城氏との合せものを聴きたいというので、ある夜、その会合があった。実際、あんな好い気持のものを聴く機会はそうあるものではない。と、今でも思出すほど、宮城氏の三絃と浜子の箏とが、流れる水のように、合し、むせび、本流となり、あるいは澱《よど》む深味へ風が過ぎてゆくようになったりする音色《ねいろ》は、曲が止んでも、弾いたものも聴くものも、消えてゆく、去りゆく音を追って、すぐ、果敢《はか》なくも思出となってしまう脆《もろ》さを、惜しむ思いにホロホロとする気持に浸っていた。
朱絃舎《しゅげんしゃ》――そんな名を選んだのも、その時分のことだった。「朱絃」という名の定《き》まるまでには、どんなにさまざまの名がえらまれたか知れ
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