員となられたのだが、今度は、その松岡さんが随分お疳癪《かんしゃく》で、日文《ひぶみ》、矢ぶみで、わかるのは君だけだろうという詰問状がぞくぞくと来た。ずっと後《のち》になってから、
「わたしも年をとったから、もう疳癪はおこさないが、時雨《しぐれ》さんの疳癪もたいしたもんだ。」
なぞといわれたが、過日、『源氏物語』劇化について、随分お骨折なされたにもかかわらず、良い結果を見なかったあとで、氏の顔を見た時に、当局の許可不許可にかかわらず、芝居道というものがどんなもので、疳癪を起してもどうもならないということを、さぞ不味《ふみ》にお味《あじわ》いになったことも多かったろう、当年の疳癪など、芸術家としての疳癪で、むしろ、思出は悪くないと思った。
が、そういう大規模の中幕《なかまく》「浦島」の竜宮での歓楽と、乙姫との別れの舞踊劇は、浦島の冠《かむ》りものとか、履《くつ》とかあまりに(奈良朝期の)実物通りによく出来たので、首が動かせずさすがの菊五郎も踊れなくなってしまったりして、箏の作曲の評判はすばらしくよかった。
*
「浜子さん、あなたは、自分の箏を、もっと生かして見る気はない。
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