は、もう一度、一番低い音をきかせてもらった。
「この絃《いと》を、もう三本か五本足して、箏の丈《たけ》を、もう一尺ばかり長くして見ようか。」
 私の空想は飛拍子《とっぴょうし》もないことを言い出す。と、浜子は咄嗟《とっさ》に、
「わたしというものを、生み直させなければ、それは不可能でしょう。」
 彼女はクックッ、おかしそうに、機嫌よく笑っている。わたしは、人並より小さな彼女を見直していった。
「しようがないな。」
「ほんとにしようがない。これで勘弁しといてもらいましょう。」
 大正三年の二月、狂言座は、夏目漱石、佐佐木|信綱《のぶつな》、森鴎外、坪内|逍遥《しょうよう》、という大先輩の御後援をいただいて、鴎外先生は新たに「曾我兄弟《そがきょうだい》」をお書き下さるし、坪内先生は、「浦島」の中之段だけ、めちゃくちゃにいじるのを御寛容くださるし、松岡映丘《まつおかえいきゅう》氏は、後景《はいけい》、衣装を全部引きうけ、仲間になって下さった。これは、前回に書いた舞踊研究会の「空華《くうげ》」の時、松岡さんと、私の好みと、鈴木鼓村さんの箏曲《そうきょく》とがぴったりしたので、松岡さんが進んで会
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