ばれた来たのも知らずに弾いていたが、
 ――そんなこというて、わしゃあ――
と、言うが早いか、どんぶりの水を口にもってゆかずに、一、二|分《ぶ》苅《ぶ》りの赤い熱頭《にえあたま》の上へ、こごんだまま、ザブッとぶっかけてしまった。
 箏の上である。夕立ちのように水は落ちた。それも知らないで彼は熱中している。和三郎は小腕をまくって、ブルブル慄《ふる》えながら、冷静をとりもどそうとして、煙管《キセル》に火を点《つ》けたが、のぼせているので火皿《ほざら》の方を口へもっていった。
 みんな、座中のものは、びっくりしたように、おかしさもおかししではあるが、気の毒さで押だまってしまっていた。
 と、その時、その騒ぎと引き離れて、膝《ひざ》の上に箏尻《ことじり》を乗せ、片手で懐紙に書いた譜を見ながら弾きだしたのは浜子だった。彼女は、喧嘩《けんか》には捲《ま》きこまれず、両方の言い分をきいて、両方の譜を、その争いのなかからうつしとって、合うように接合してしまっていた。
 浜子が弾きだすと、和三郎は煙草を止《や》め、鼓村も弾く手を伏せて聴いた。
「あ! それなら好《い》い」
 そう叫んだのは和三郎だ。

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