いう踊りの地方《じかた》の稽古所《けいこじょ》に、この二階をかりてあてた。
試演は歌舞伎座で催すのだが、沢山の人を集めた和楽オーケストラなので、広い場所でなくっては稽古が出来ない。この丸五の二階で、幾日も幾日も、みんながお弁当を食べた。
主として箏《こと》をもって、この歌劇風の「空華」の気分を出そうという最初の試みなので、作曲者の鈴木鼓村氏は、私の母がいる箱根へいって、頭を冷し、気分を統一して、そして漸《ようや》く出来あがったのだった。
それを創意のまま鼓村さんが弾《ひ》くのを、受取ってくれるのが浜子であった。彼女は、一度聴いていて、膝《ひざ》の上で右の薬指を軽く打っているが、直《じき》に正確な譜にうつした。鼓村さんは弾いてしまうと、その次には、例の、気分によって弾奏の手がちがうのだった。
末《すそ》の方へいって伴奏に三味線がはいるのを、長唄《ながうた》研精会の稀音家和三郎《きねやわさぶろう》が引きうけていた。少壮気鋭だった三味線楽家は、この試みが愉快でならないのだが、そんなふうで、鼓村さんとは合せるたびに、ぴったりしていたのがそう行かなくなる。
箏《こと》の方の弾手《ひきて
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