西洋の市街に負けぬという見出しで、
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美なるかなランプ、明《あきらか》なるかなガスランプ、一度《ひとたび》点じ来て、我々の街頭に建列するに及びてや、満街白昼の観をなさしむ。これに次ぐものはオイルランプなり、これまた一行人《いちこうじん》をして、手に提燈《ちょうちん》を携ふの煩《はん》とわかれしむ。
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といっている。新富座はもとより新設備を誇りにしている。当時流行の尖《せん》たん花ガスは、花の形《かた》ちをした鉄の輪の器具の上で、丁度|現今《いま》、台所用のガス焜炉《こんろ》のような具合に、青紫の火を吐いて、美観を添え、見物をおったまげさせていたのだ。
そこで、この間《かん》、明治四十年に至るまでには、新富座興亡史があり、歌舞伎座が出来上り、晩年は借財に苦しめられた守田勘弥《もりたかんや》が歿《な》くなってしまうと、新富座は子供芝居などで、からくも繋《つな》いでいるような時もあった。
その新富座の茶屋|丸五《まるご》の二階。盛時を偲《しの》ばせる大きな間口《まぐち》と、広い二階をもったお茶屋が懇意なので、わたしは自作の「空華《くうげ》」と
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