ん》女中を連れて游《およ》ぎに行くと出ている。
それも無理のないのは、その辺、紅毛人《こうもうじん》の散歩場なのでもあるし、つい先ごろまでは、人中で肌などあらわすようなことは、死んでもしないというふうに女はしつけられていたのだから、白昼衆目の見る前で、島田の娘の水泳ぶりには、記者も驚いたのであろう。
だが、また、佃島《つくだじま》から、渡舟《わたし》でわたって来た盆踊りは、この界隈《かいわい》の名物で、異境にある外国人《とつくにじん》たちを悦ばせもした。そうかと思えば、島原の芝居は炎暑で不入り、元金七千円金が、昨日の上《あが》り高《だか》では千五百円の大損、それに引きかえて、同所の、火除《ひよ》け地へ、毎夜出る麦湯《むぎゆ》の店は百五十軒に過ぎ、氷水売は七十軒、その他の水菓子、甘酒、諸商人の出ること、晴夜《せいや》には、半宵《はんしょう》の物成高《うりあげだか》五百円位、きわめて景気よしともある。
なんと、蝦夷錦《えぞにしき》のように、さまざまな色彩の錯合ではないか――それらの人々の頭の上を照らすのに、
美なるかな、明《めい》なる哉《かな》、街頭に瓦斯《ガス》ランプ立つ。これで
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