、その近くへ芝居小屋が建築されたそれが、いわゆる三座と称せられた江戸|大劇場《しばい》の濫觴《らんしょう》で(中村座、市村座、山村座。そのうち山村座は、奥女中|江島《えしま》と、俳優|生島新五郎《いくしましんごろう》のことで取りつぶされた)、堺町《さかいちょう》、葺屋町《ふきやちょう》にあった。大火後、遊廓は浅草|田圃《たんぼ》へ移され、新吉原となり、芝居だけ元の土地に残っていたが、ずっと下《くだ》って天保《てんぽう》十三年に、勤倹令を布《し》いた幕府の老中、水野|越前守《えちぜんのかみ》が、中央に芝居小屋などのあるのはもってのほかのこと、御趣意に反《そむ》くというわけで、浅草|猿若町《さるわかちょう》へ転地させられた。
そのころ、京橋|木挽町《こびきちょう》にあった守田座が、猿若町に立並んで三座となったが、この、守田座は、委《くわ》しくいえば、もとから、芝居は四座あって、守田座だけが別の土地に離れていたので、これも古い名ではあるが、十一代目を継いだ――下総《しもうさ》あたりのお百姓から出て、中村|翫右衛門《がんえもん》と名のった、あまり上手でない役者が座元の養子になり、その子の十二
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