。たまには間違えて引出しをあけると、毒薬や、笑い薬なども出て来て楽しいだろうにといった。そんなことも、こと細かに、下書きをした上で、その日の日記帳に書き止められ、しかも彼女の批判がつけられてあるのが、浜子の仕方だった。
しかし、彼女には、彼女らしいユーモアが計《たく》らまれ、静かに実行にうつされることもあるのだった。言って見ればある時、年長者や、年下の者や、とにかく浜子の箏に心酔する、友達であり門弟である女人《ひと》たちが集められた会食の席で、わたしに、
「おやっちゃん、ニャアといってごらんなさい。」
と、並んでホークをとっている浜子がいった。わたしはなんの遅疑もなく、早速《さっそく》ニャアンと彼女の言葉の下にやった。わたしの眼はお皿からはなれてもいないし、四辺《あたり》の眼なんぞ考えにも入れていなかった。ただ、しかし、可愛らしい小猫の柔《やさ》しみがなかったので、
「まるでドラ猫だ。」
と、呟《つぶ》やきながら、もいちど、せいぜい小猫らしくやって見た。
と、浜子は、下をむいて、クックッと笑いを噛《か》み殺している。それがとても嬉しそうなのだ。で、お皿を下げに来た給仕人《きゅうじに
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