揺にも押しゆさぶられていた。
 せわしさに、昨日《きのう》の人を思出していられないというふうな、世の中の目まぐるしさだった。
 ある日、浜子が来て、
「そこまで、江木《えぎ》さんが来たのだけれど、急がしいといけないから、また来ますって。」
「あら、帰ったの。」
 あたしは惜《おし》がった、それはいつぞや、帰りぎわに、淡路町の邸《やしき》で、静な室を二室抜いて、彼女の篆刻《てんこく》が飾ってあったのを見せられた時、どれか上げたいといったのを、またの時にと急いで帰ったばっかりに彼女の篆刻は、あすこに並べてあっただけは、一個《ひとつ》も残らず焼失したことの惜《おし》さを、なぐさめてあげたい思いで一ぱいだったからであった。
 欣々女史の書画――篆刻の技《わざ》は、素人《しろうと》のいきをぬけて、斯道《しどう》の人にも認められていたのだ。
 丁度、私は牛込左内町《うしごめさないちょう》の坂の上にいて、『女人芸術《にょにんげいじゅつ》』という雑誌のことをしている時だった。二階の裏窓から眺めると、谷であった低地《ひくち》を越して向うの高台《たかみ》の角の邸《やしき》に、彼女は越《こ》して来ていた。浜
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