ど、嵩高《かさだか》な桑の葉を運ぶのだつた。
 朝露《あさつゆ》のあるころは、まだしも見た目に、青さが凉しげで、勞働《はたらき》のいさぎよさと健康が羨ましくもあるが、日中の桑畑のいきれ[#「いきれ」に傍点]は、風など通しはしなかつた。上からは照りつけ、山畑に水などは一滴もない、見渡すかぎり日影もない桑畑だつた。汗もしどろに、摘みためたのをすぐ運んでゆくのだつた。炎天の路《みち》をゆくのだつた。
 夕暮の野路でも、彼女たちは勞《つか》れきつて、默々と、まだ夜露にしめらない、土埃りのたつ道路《みち》を、まつ黒い影で二三人づつ歩いてゆくのだつた。
 それは、家の中を風が吹きぬく、影の多い、小暗いほどの土間に、摘んだばかりの桑の葉が、青々と、籠のまま、もしくは莚《むしろ》にあけられてあるのを見た。俳畫にでもありさうな田園の風情とは、まつたく別ものの、生きた如實の生活の姿だつた。私たち明治期の、都會生れのものが、風俗畫からやしなはれて來た常識――茶舖《ちやほ》でもらふ、茶摘み風景をゑがいた團扇や、海苔やの、海苔そだに小舟をあしらつたり、干し場の景色には、富士山が遠く紫ばんで見えたりするのや、うつ
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