くしげな養蠶風俗などとは、似てもにつかない生計《たつき》の業《わざ》であつた。糸をとるにしても、製糸工場はしばらくおき、乏《とぼ》しい、かなしげな小屋で、老女《としより》が鍋で煮ながら繰出してゐるのを見ると、手の指はまつ白にうぢやぢや[#「うぢやぢや」に傍点]けてゐた。蠶時には、幼兒《こども》が軒下で寢てゐるやうな家もあつた。家のなかは繭で何處もかも眞つ白だつた。人が從で、繭が主だつた。しかも、それほどの繭を積んで、よろこぶ筈の家の者の眉は曇つてゐた。繭商人《まゆあきんど》が秤をもつて、とても安い價を言つてゐるからだつた。
 一反の着物のなかには、原料だけにさへ、それほどの勞苦が織込まれてゐるのだ。といつて、消費者がなければ、その生産によつて暮す人は、差當り困るわけだ。もとより國内の消費より、輸出が絹の價格の高低をなすのであらうが、それはそれとして、國産である絹を、貧富の別なく、體力のおとろへた老人に着せてやる工夫はないものであらうか。美術工藝としての發達や、服裝美の上からの建前《たてまへ》とは異つた方の見方からではあるが――
[#地から2字上げ](「新裝」昭和十年七月一日)




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