さま》しき末世とさえおもわれたのだ。
武子さんはそうした家柄の、本派本願寺二十一代|法主明如上人《ほっすみょうにょしょうにん》(大谷|光尊《こうそん》)の二女に生れ、長兄には、英傑とよばれた光瑞《こうずい》氏がある。
で、また、ここに、他の宗教家と著しく違うところに、親鸞聖人の妻帯は、必死の苦悩を乗りこした浄土であったのだが、いつからのことか、このお寺だけはお妾《めかけ》のあることがなんでもないことになっていて、お生母《はら》さんというものがあることなのだ。姻戚《いんせき》関係もおおっぴらで、もっとも縁の深いのが九条家で、月《つき》の輪《わ》関白兼実《かんぱくかねざね》の娘|玉日姫《たまひひめ》と宗祖の結婚がはじまりで、しかも宗祖は関白の弟、天台座主《てんだいざす》慈円の法弟であったのだから関係は古い。ごく近くでは、光瑞氏夫人が九条家から十一歳の時に輿入《こしい》っているし、光瑞師の弟光明師には、夫人の妹が嫁《とつ》がれている。重縁ともなにとも、感情がこぐらかったら、なかなか面倒そうだ。
山中峯太郎氏著、『九条武子夫人』を見ると、父君光尊師は幼いころから武子さんを愛され、伏見桃山
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