の理解と最も明晰《めいせき》な洞察《どうさつ》をもって、今の社会の如何《いか》に改造すべきや、現内閣の政治上の事に至るまで、とても確かな意見を出して具合よく応答されたのには聞いていた私が呆《あき》れた。「どうせ華族の女だもの、薄馬鹿に定まってらあ、武子っていう女は低脳だよ」
たしかにこんな蔭口をたたいた事のあったこの男も、すっかり参ってしまって、辞去する頃には、「ねえ、僕らの運動の資金をかせいで下さいな、何? 丁度新聞社から夕刊に出す続きものを頼まれてるんですって? そいつはうまいや、いや、どうも有難う。」
その男が帰ってしまったあとで私はたあ様に訊《き》いた。「たあ様の周囲にあんな話をして聞かせる方もありますまいに、いつのまにあんな学問なさったの?」その時、たあ様は笑いながら、「私だってそう馬鹿にしたもんじゃありませんよ。」(下略)
[#ここで字下げ終わり]
 この一節《いっせつ》に思いあわせたのだった。その訪問者の軽率なのも、掠屋《りゃくや》にもおかしさもあったが、武子さんの晩年の救済事業が、なんとなく冴《さ》えてきた心境を感じさせていたので、人を選《よ》るいとまもなく、聞こうとし
前へ 次へ
全43ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング