帰依《きえ》した、その説示だという、最も大乗《だいじょう》の尊さを説いたもので、わが聖徳太子も、推古《すいこ》女帝に講したまいし御経《おんきょう》ときいたが、君とは、父法主《ほっす》でも、兄法主でもない人を指している。
築地《つきじ》別院に遺骸《いがい》が安置され、お葬儀の前に、名残《なご》りをおしむものに、芳貌《ほうぼう》をおがむことを許された。
二月八日の宵《よい》だった。梅の花がしきりに匂《にお》っていた。わたしは心ばかりの香《こう》を焚《た》いて、「秋の夜」と署名した武子さんからの手紙を出して、机上においた。そこへ、安成二郎《やすなりじろう》さんが訪れられて、どうしてお別れにいって来ないのかといわれた。蘭燈《ぼんぼり》にてらされて、長い廊下を歩いていって、静《しずか》な、清らかな美しいお顔を見ると、全くこの世の人ではない気がしたといわれた。そして、どうしてゆかないのかと、再び問われた。
あまり多くのものに、死者の顔を見せるのは嫌いだから、見られるのはお厭《いや》だろうと思うと、答えたわたしの胸には、ちょっと言いあらわせないものが走った。
震災|前《ぜん》、あの別院が焼
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