い》が急に重《おも》って、それとなく人々が別れを告げに集《あつま》るとき、その人も病院を訪れたというが、武子さんは逢《あ》わなかったのだった。お別れはもう先日ので済んでおりますと、伝えさせたという。
私が、戯曲的に考えれば、生母の円明院《えんみょういん》お藤の方が、手首にかけた水晶の数珠《じゅず》を、武子さんが見て、
おかあさま、そのお数珠を、私の手にかけてください。
といわれたということが、新聞にも出ていたが、その水晶の数珠は、かつて、武子さんが、御生母へあげたものだということから、その数珠には、母子だけしか知らない温かい情《もの》が籠《こも》っているかもしれないと、思うことだった。
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君にききし勝鬘経《しょうまんぎょう》のものがたりことばことばに光りありしか
君をのみかなしき人とおもはじな秋風ものをわれに告げこし
この日ごろくしき鏡を二ツもてばまさやかに物をうつし合ふなり
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勝鬘経は、印度|舎衛《しゃえ》国王|波斯匿《はしのく》と、摩利夫人《まりぶにん》との間に生れて、阿踰闍《あゆしゃ》国王に嫁した勝鬘|夫人《ぶにん》が仏教に
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