んの感想には、書かれない文字や、行間に、言いたいものがいっぱいにある気がする。遠慮、遠慮、遠慮! 昔だったらわたしなど、下々《げげ》ものがこんなことを言ったら、慮外《りょがい》ものと、ポンとやられてしまうのであろうが、みんなが武子さんを愛《いと》しむ愛しみかたがわたしにはものたらない。こんな、生きた人間を、なんだって小さな枠《わく》に入れてしまうのだろう。
 ――いや、武子さんは、御自分のしていることがお好きなのでした。御満足だったのです。一番好きなことをしていたのです。
 こういった中年男は、良致さんが大好きで、男は何をしても、細君はいとまめやかに、愛らしくという立場だから、失礼なことをいうのも仕方がない。どんな売女でももっている、女っぽさや、女の純なものがないの、けちんぼだの、勘定《かんじょう》が細かいのといった。わたしはそれに答えてはこういう。
 武子さんは、「女」を見せることを、きらったのだ、誰にも見られたくなかったのだ。わざとする媚態《びたい》があるというが、それは、多くのものに、よろこばせたい優しみを、とる方がそうとりちがえたのではないか。算当《さんとう》が細かいというのは
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