たのではなかろうか、良致氏が外国で家庭生活をもっていたことが、かえって武子さんを小乗的《しょうじょうてき》にしてしまったのかもしれない、仏教のことばなんかつかっておかしいが、そんなふうにもおもえる。さし詰《せま》った苦しさというものは、勇気を与えるが、それも長く忍んでいると詠歎的になってしまうものだ。
『白孔雀』の巻末に、柳原|白蓮《びゃくれん》さんが書いているから、すこし引いて見よう、
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百人《ももたり》のわれにそしりの火はふるもひとりの人の涙にぞ足《た》る
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第一この歌に私はもう涙ぐんでしまった。あのたあ様は本当に深い深い胸の底に涙の壺を抱いていた人だった。
私が今の生活に馴《な》れるまでの間を、たあ様はどんなに励まし、かつ慰めてくれたことであったろう、「貴女《あなた》は幸福よ。」この一言によって私は考えさせられた。人というものはどうかすると自分の幸福を忘れている事がある。幸福だという事を忘れれば幸福にはぐれてしまう、という事を教えられた。私は何といってあの方に感謝していいかわからない。人こそ知らね私には深い思いがあるからである。
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