代を知るよしもないが、これらはずっと古くうたわれたものときいている。一年半以上も外国でくらして、秋も深くなって帰ると翌年の春、籌子夫人が急逝された。その人の望みによって武子さんの生涯は定まってしまったのに、それを望んだ人は死んでしまって、妻という名の、桎梏《しっこく》の枷《かせ》をはめられて残された武子さんの感慨は無量であったろう。全く運命というものは変なものだ。
しかし、おかくれ遊ばした総裁様の御遺志をお伝えするが使命と、武子さんのうるわしい声が、各地巡回宣伝にまわられると、仏教婦人会の新会員は増えてゆくばかりなので、九条武子となっても、本願寺に起臥《おきふし》して、昔にもまさって本願寺の大切な人であった。そして、思い出したように、お美しい方が空閨に泣くとは、なぞと、時々書いたりいわれたりしたが、武子さんの場合だけは、それが不自然ではなく、なんとなくそれで好《い》いような気がしていた。語らざる了解があるように思われた。そうしているほうが、お互が気楽なのではないかと思えた。
遺稿和歌集の『白孔雀《しろくじゃく》』をとって見ると、
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百人《ももたり》のわれにそし
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