シベリア線で、籌子夫人して武子さんが帰朝ときまったとき、訣別《けつべつ》の宴につらなった良致氏は、黙々として静かにホークを取っただけで、食後の話もなく、翌日、出立《しゅったつ》のおりもプラットホームに石の如く立って、
「ごきげんよう」
と、別れの言葉は、この一言だけだとある。
良致さんという人が、この通り沈黙寡言な、哲学者かと思っていたらば、先日、ごく心やすくしていたという男の人が来て話すには、なかなか隅《すみ》におけない、白粉《おしろい》を袖《そで》や胸にもつけてくる人だというし、またある人も、気さくなよいサラリーマンだといった。新婚のころは、特別に、そんなムッとした人にならざるを得ぬことがあったものとおもえる。世間からは花の嫁御《よめご》をもらって、日本一の果報男《かほうおとこ》といわれたが、他人ではわからないものが、その人にとってないとはいえまい。
また、それでなければ、新婚三月の新夫人をかえしてしまって、滞欧十年、子までなさせて、そこの水に親しんではいられないはずだ。
三年たった。ここいらから武子さんが、麗《うる》わしい武子だけでなく、同情と、人気とその人のもつ才
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