樺《かば》ざくらともうしあげましょう。五《いつ》ツ衣《ぎぬ》で檜扇《おうぎ》をさしかざしたといったらよいでしょうか、王朝式といっても、丸いお顔じゃありません、ほんとに輪郭のよくととのった、瓜実顔《うりざねがお》です。
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と、おなじ夫人がいったことも、わたしは書いている。
それなのに、なぜ、その時のままのを、他《ほか》の人のとおりに、古いままで出さないのかといえば、わたしは女でなければわからない、女の心を、ふと感じたからで、あたしには偽りは言えない。といって、生《いき》ているうちから伝説化されて、いまは白玉楼中《はくぎょくろうちゅう》に、清浄におさまられた死者を、今更批判するなど、そんな非議はしたくない。ただ、人間は悲しいとおもいあたるさびしさを、追悼の意味で、あたしの直覚から言ってみるに過ぎない。笞《しもと》の多くくるのは知っているが、手をさしのべて握手するのも目に見えぬ武子さんであるかもしれない。
昭和二年ごろだった。掠屋《りゃくや》が――商業往来にもない、妙な新手のものが、階級戦士ぶってやって来ていうには、
「九条武子さんとこへいったら、ちゃんと座敷へ
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