る前になったのだった。
良致氏はお気の毒な方《かた》で、やったり、とったりされた人だった。ずっと前に他家へゆかれ、それから一条家の令嬢の婿金《むこがね》として、養われていたが帰されて――やっぱりこれも例をひいた方がよいから、山中氏の前のつづきを拝借すると、
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――かつて一条公爵家の御養子として、暫《しばら》く同家に生活していられました。それは、元来一条家よりの懇《ねんご》ろなお望みがありまして、御結縁《ごけちえん》になったのでした。しかし、家風《かふう》の上から、その後《のち》、男爵は再び九条家へ、お復《かえ》りになったのでした。(前掲一七四頁)
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なぜ、この山中氏の著書からばかり引例にするかといえば、材料の蒐集《しゅうしゅう》に、『婦人倶楽部』の多くの読者と、武子さんの身近かな人々からも指導と協力を得ているといい、筆者はもうすにおよばず、発行が、野間清治氏の雄弁会出版部であり、およそ間違いのないものであること、著者の序に、初校《しょこう》を終る机のそばに、武子さんが、近く来《きた》りていますように感じつつ、合掌、と書かれた敬虔《けいけ
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