早く行って帰って来て、掃除やなにか手つだおうと思った。

       二

 朝夕に、腰を撫で、肩をもんであげた祖母は、八十八歳であたしの十五の春に死んだ。あたしを一番愛していたが、厳しいしつけでもあった。一ツ身を縫うにも、二度三度といて、縫い直しをさせるのだった。そういうことを恥かしがらないアンポンタンでも少々気まりの悪いこともあるし、教える人の方が、まだ小娘さんなのに、あんまりひどいと怒ることもあった。
 ともかく、あたしの教育は、本を読ませないことというに、何時かきまってしまっていたが、まだしも祖母のいるうちは、あたしも小さくなっていたし、母たちも幾分祖母へ遠慮をしていたが、段々とあたしは知恵を出して来た。読み書きをするのに、母が労れて眠る時分をはかり、妹と二人寝る部屋の障子の方へは、屏風やら何やらで灯影をさえぎり、これでよしと夜中の時間を我がものがおに占領しだした。
 ところが、洋燈《ランプ》の石油はへって、ホヤは油煙で真っ黒くなる上に、朝寝坊になって、父が怒って、冷水《みず》をあいている口へつぎ込むことなど、仕置きされることが重なってしまった。ある夜中には、寝たと思った母が部屋へはいって来て、大いに怒って父を呼び、父が優しくて見逃しているのだというので、父から楊弓をもって激しく折檻された。祖母のいるころでも、母が強く怒ると、姐《あね》さまのはいっている手箱も、書きものの手箱も、折角、かくして、ぽつぽつと溜めた本類も、みんな焚《も》してしまわれたりしたが、そんなにしても、妹たちも好きだったので、いろいろな工夫をしてくれた。家にも何かしら読みものは多くあった。母が、浴衣ならば、家内が多いので、一度に十反くらいを積んで、縫えと出すと、もう家にいて縫うようになっていたので、静かな、なるべく母の目から遠い二階の部屋にあがって、それこそ朝の仕事も早くすませ、身じんまくも早くしてしまって坐る。そうなると、頭をよく働かして、たいへん手早く巧者に裁断《たっ》てしまって、早縫いの競争なのだが、母が見廻りにくると、実に丁寧な縫いかたをしている。で、一日に一枚はこの分ではどうかと思ってもらっておいて、次の妹と二人がかりで、二枚も三枚も拵らえあげてしまって、それからの残りの時間を、雑読、乱読、熟読の幾日かをものにしていた。
 そこで、おかしいのは、母は、なんでそんなに厳しくしたか
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