の人甚兵衛さんが思いついて夫婦になり、当時の開港場横浜取引の唐物屋になったのだ。この鬼眼鏡に睨《にら》まれて、三十歳になるかならずで、明治廿二、三年ごろに死んだお八重さんは、神田ッ子だった。下駄《げた》の甲羅問屋の娘さんで、美しいので評判な娘だったのを、鬼眼鏡が好んでもらったのだが、実家にいては継母《ままはは》で苦労し、そこでは鬼眼鏡に睨み殺された。と、いうと、おだやかでないが、陰気で、しなやかに撓《たわ》む、クニャクニャした気象の女《ひと》だったら、どうか我慢も出来たであろうが、お八重さんが、サックリした短所も長所も、江戸ッ子丸出しの気性《さが》だったのだから、その嫁と姑のやっさもっさ[#「やっさもっさ」に傍点]が、何処《どこ》やら、今から見ると時代ばなれがしている。
 鬼眼鏡おばあさんのおつや、世間でやかましい鬼丸との評判を、嫁にきかせまいとするので、嫁の外出はすっかりとめて、しかも嫁いじめの手は、雪が降る日には、店の者も奥の者も、みんな、およそ雇人《やといにん》と名のつくものは一人残らず中島座の見物にやり、土間(客席のこと)の桝《ます》を埋めさせる。そのあとで、風呂にはいりたいと
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