められないのかといえば、実子ではなかったのだ。二人生んだ子を、二人まで死なせてしまって、養子をしたのではあり、このおばあさんと、死んだ連合《つれあい》とが、前にいった大長者格の呉服問屋、丁吟《ちょうぎん》からのれん[#「のれん」に傍点]を貰って、幕末明治のはじめに唐物屋を開いたのが大当りにあたって、問屋まちに肩をならべ、しかも斬新《ざんしん》な商業だけに、横浜の取引、外国人との接触などで、派手であり暮しむきも傍若無人な、金づかいのあらいものだったのだ。
おばあさんは頭のおさえ手がなく、鼻息のあらいのは、その辺の御内儀とちがって、成上り者だったのだ。この女は、生れたのが葺屋《ふきや》町――昔の芝居座の気分の残る、芸人の住居も多く、芳《よし》町は、ずっとそのまま花柳《かりゅう》明暗の土地であり、もっと前はもとの吉原もあった場処ではあり、葺屋町は殷賑なところで、そこの古着屋の娘に生れた、おつやというのがそのおばあさんの名だったが、役者買いと嫁いじめで、人よんで「鬼眼鏡」と綽名《あだな》した。
その女が若い盛りに、杉の森の裏小路で、長唄のお師匠さんをしていた時分、若い衆であったお店《たな》
前へ
次へ
全22ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング