も記してない。秀郷祀るところの御本体も置いてない。だが、附記にも、昔杉の木立いと深かりしなりとある。あたしも子供の時分、四月十六日のお祭奠《まつり》に、杉の木へ寄りかかって神楽《かぐら》を見た覚えもあざやかに残っているし、小僧が木の幹にしがみついて、登って見ていたのも覚えているから、幾本かは、幾度かの江戸の大火にも、焼け残って芽をふいていたものと思われる。
 堀留は、地名辞書によると、堀江、または堀留江、伊勢町堀ともいう、日本橋川の一支、北にほり入ること四、五町ばかりとある。
 前置きは長くなったが、そのほとりの大店《おおだな》は、夕方早くから店の格子を入れてしまう。この格子は特長のあるいいものだった。一、二寸角の、荒目の格子で、どっしりとした黒光りの蔵造りの、間口の広い店は、壮重なものにさえ見えた。灯《とも》し火がつけば下の方だけの大戸が下りて、出入口は、引き戸へ潜《くぐ》り口のついたのが一枚おりている。上の方は、暑中でなければ油障子がおろされ、家の中からの灯が赤く、重ったくうつって、墨で描いた屋号の印《しる》しが大きくうきあがっている。譬《たと》えば、※[#「∴」の下に「ノ」、屋号
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