述べるとすると、黒|繻子《じゅす》の襟のかかった南部ちりめん、もしくは、そのころは小紋更紗《こもんサラサ》も流行《はや》っていた。友禅の長|襦袢《じゅばん》のこともあったが、売出されたばかりの、ごく薄手の上等の英ネルの赤いのを胴にした半じゅばんへ水色っぽい友禅ちりめんの袖をつけて、袷《あわせ》仕立にした腰巻き――塵《ちり》よけともいうが、白や、水浅黄《みずあさぎ》のゴリゴリした浜ちりめんの、湯巻きのこともある。黒ちりめん三つ紋の羽織、紋は今日日《きょうび》とおなじ七|卜《ぶ》位だった。そのあとで、女でも一寸一卜《いっすんいちぶ》位まで大きくなって、またあともどりしたのだ。しかし、そのまた前まで、ずっと昔から大きいのがつづいていたのだったようだ。
 おおかめさんの体重《めかた》は、年をとっていたから、十八、九貫ぐらいだったろうが、そのかわり皮膚が拡《ひろ》がって、どたり[#「どたり」に傍点]としていたから、お腹《なか》の幅や、長く垂れた乳房《ちぶさ》の容積などは、それはたいしたものだった。鼠《ねずみ》ちりめんへ宝づくしを細かく縫にしたじゅばんの半襟は、一ぱいにひろがって藤色の裏襟が外をの
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